歴史の小説や映画などで出てくる動物とは何でしょうか?犬、猿、雉ではありません。そう“馬”です。いつの時代でも大体は登場する動物かと思います。今回は昔の馬についての雑学を書いていきます。
馬は日本にいつ何処からきたか
元々、日本には馬は生息していなく、今でいう外国から来た外来種です。日本に入ってきた時期は5世紀前後の古墳時代で導入ルートは2つ考えられています。1つは中国南部から南西諸島→南九州に小型馬が入ってきたルート、2つ目は朝鮮から北九州に中型馬が入ってきたルートです。
ここで日本に入ってきて繁殖した馬を『日本在来馬』といいます。ちなみにここで説明している馬は競馬で活躍しているサラブレッドとは違う種類です。

サラブレッドの体高は約160~170cmですが、日本在来馬は小型が約100~120cm(トカラ馬、野間馬など)、中型が約120~140cm(木曽馬、御崎馬など)と胴長・短足なのが特徴です。(ポニーの分類)サラブレッドのように速くはありませんが丈夫で重い荷物を運べました。
※体高は前足の肩の一番高いところです。

馬が住みやすい土地とは
野生の馬が食べるものは何か、というとイメージ通り草です。草なんて何処にでもあるじゃないかと思うかもしれませんが、森林が生い茂る土地では栄養が樹に取られるため、馬が住むのに適切な草原が形成されませんでした
草原が自然形成される土壌は『黒ボク土』といい、水を貯めにくい土なので樹木が育成しづらく水田耕作の利用もできないため馬を放牧する土地『牧』として利用されました。この牧の多くが東国や九州南部にあり、馬が軍事力を担う中世に武士が力をつける地盤にもなりました。
ちなみに牧に適している土壌はブドウ畑にも向いており、源頼朝の一族の河内源氏ルーツである大阪府羽曳野市はブドウの産地、甲斐の武田信玄で有名な山梨県はブドウ産地の全国一位です。ブドウ畑があった場所は昔、馬が住んでいたかもしれませんね。
このように馬の産地として適していたのは稲作が不向きな土地でした。土壌・地形の関係もあって中世の農業は水田耕作が中心の西日本、畑作中心の東日本といわれますが東国は馬の産地でもあり軍事国家でした。源平合戦で鎌倉武士が台頭したのは馬の力もあったかもしれません。
名馬の条件
競馬であれば優れた馬はレースに勝つ馬、つまり速く走れる馬といえると思います。ただ昔の馬は単に速い馬が名馬というわけではありませんでした。
そもそも育て方が現在と違い通年放し飼いをする放牧、昔の言葉で『野馬』と呼びました。野馬は基本的には人の手は加えずに餌も野草を食べます。また病気になった馬などの手当てもしないので体が弱い馬は淘汰され、健康で頑強な個体が残ります。
また去勢をする文化もないので馬の気性は荒く、武士が乗る馬は獰猛なほど良いとされて(戦場では雄馬しか使いませんでした)、荒馬を乗りこなすのが武士の腕の見せ所でした。やはり体格も大きく(在来馬で体高さ140cm程)、足が速く小回りが利く馬が名馬とされます。
馬の勝負飯
牧から出された馬、つまり私たちでいう就職した馬は嫌でも働かなければなりません。就職先は武士の乗り馬、荷駄、伝馬、農耕馬など様々ですが馬にとってはいいこともあります。野草ではなく馬用のご飯を食べることができました。
馬の用途で違いはあるとは思いますが軍馬や荷駄をする馬には『馬糧』と呼ばれる食料が与えられました。
その献立は刻んだ藁・糠・干草と蒸かした大豆に塩少々を混ぜて与えました。もちろん草でも食い繋げはしますが重い荷物や人を長時間運ぶには草ではエネルギー不足になってしまいます。”腹が減っては戦ができぬ”は馬にも言えることのようです。
ちなみに馬は大豆だけ食べると便秘をしてしまうので藁などで食物繊維を取らせて適度に水を与えねばならないため、しっかり世話が必要でした。
馬の靴
現代人が履いている靴、昔の人が履いていたものといえば草鞋をイメージするでしょうか。では馬の場合は足の裏につけるものといえば『蹄鉄』かと思いますが、昔の日本の馬は蹄が固く蹄鉄をする必要がありませんでした。では特に何も履いていなかったのかというとそうでもありません。
常時していたかは分かりませんが長距離を移動する際は馬用の『馬草鞋』をしていました。日本の道は高低差があり細く険しい山道も超えていかねばならず、蹄を保護し滑り止めをする馬草鞋は長旅の必需品だったそうです。

まとめ
冗長な文章でしたがまとめますと
- 日本の馬は中国・朝鮮からきた元は外来種
- 日本在来馬はポニーサイズ
- 馬の産地は東日本や南九州が中心
- 名馬とは体が丈夫で気性が荒い大きく速い馬
- 働く馬は専用の餌を食べる
- 馬が履く草鞋がある
以上、今年は寅年ですが馬の雑学でした。



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