【古代〜中世】郡・郷・荘?中世の市区町村

社会

 昔の城跡、例えば東京都日野市にある平山城址公園は平山季重の領地で平山郷と呼ばれていたそうです。城跡や本を読んでいくと○○荘や××郡などの地名に出くわしたりしますが一括りに村や町のような呼び方ではなく郡・郷・荘などと別れているのか、簡単ざっくりご説明します。

郡郷→公領/荘→荘園

 別記事で書きましたが中世の土地には大きく分けて2種類ありました。朝廷の土地である公領(国衙)と貴族・寺社の私有地である荘園です。どちらかで呼び名が変わりました。複数呼び名がありますが2つに大別すると、

  • 郡・郷・別名・保 → 公領
  • 荘 → 荘園

朝廷の土地が『郡・郷・別名・保』、貴族などの私有地が『』と呼ばれます。荘は分かりやすいですが郡・郷・別名・保は数が多くてよく分かりませんね。それぞれ違いをご説明しますが、その前に税収の変化について簡単に書いていきます。

班田制から荘園公領制へ

 古代の税収方法は『班田収授法』に則って朝廷が戸籍を作成し、各個人が課された税『租・庸・調』を国に納めていました。その時の土地の単位は『国→郡→里』で分類され、国の中に郡、郡の中に里が含まれました。現代の県→市→町と考えていただければわかりやすいかと思います

班田制

 ただ班田制による税収は課税の厳しさから農民の逃亡が後を絶たず、立ち行かなくなりました。そこで朝廷は人ではなく土地に対して税をかけることにしました。今までは各個人が課税対象だったのをその人が住んでいる土地に税をかけて、国の責任者(国司)が任命した『郡司・田堵』に管理させました。
※郡司は富裕層の地方有力者、田堵は現場の責任者で農業のエキスパート

 また貴族に土地を新たに開墾して使用することを認めました。『墾田永年私財法』“荘園”と呼ばれる民間の土地が誕生することになります。これで国の土地(公領)だけでなく、民間の土地(荘園)の2つの土地が並立することになります。これを『荘園公領制』といいます。

増えていった土地の種類

 人頭税から地税に変わったため耕地を『』と呼ぶようになり、有力農民である『田堵(名主)』に耕作を請け負わせました。これを『負名制』といいます。また土地の単位も『国→郡→郷』に変わりました。納税も郷→郡→国の流れで始めは納めていました。

負名制

 また11世紀中頃には開墾が進められ、公領を再開発した有力者はその土地の管理・徴税権が与えられて郡郷を通さずに国に直接納税をしました。これを『別名制』といって新しい土地が増えていきました。

 新しい土地が増えていくと元々あった郷も郡を通さずに納税するようになりました。郷や別名を除いた土地が郡として残り郡と郷は上下関係がなく、それぞれ独立した土地になりました。公領に郡・郷・別名・保など複数の土地が国(国衙)に直属するようになり、これを『郡郷制の改編』といいます。

郡郷制の改編

まとめ

簡単にまとめると中世の土地で、

【荘】はそのまま荘園のこと
【郡・郷・別名・保】は公領で従属関係はなく、それぞれ独立した土地

 始めは現在の市町村のように市の中に町村がある形だったのが土地の増加に伴い、それぞれ独立した形になりました。ただ公領は国(武蔵、相模など)の国衙に納税義務があり、荘園は私有地なので領主の貴族などに税を納めていました。中世の土地は分かりづらいですね。

荘園の成り立ちについてはこちら

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