先日、職場の同僚に城廻りのお土産を渡した際に写真を見せた所、「ハァ、何それ土じゃん!」と言われました。
彼は写っているのが、かの有名な山中城の障子堀であることを知りません。否、城とは何かを知らない―興味がないのでしょう。
皆さんが知り合いの城廻りをした人を傷つけないために城の簡単基礎知識をまとめました。
城の始まりとは?
そもそも城は何故できたのでしょうか?最も古い年代の城は弥生時代まで遡り、集落の周囲を堀で囲った『環濠集落』が上げられます。これは農地・食料の外からの略奪を防ぐために作られました。
時代は下って飛鳥時代には中国・朝鮮(唐・新羅)からの侵略に備えて北九州から瀬戸内海沿岸に城を築きました。これは朝鮮(百済)の亡命貴族の技術で作った城で『朝鮮式山城』といいます。これら 2 つはどちらも防御のための施設です。
6 世紀(飛鳥時代後期)に入ると朝廷は東北地方を服従させるため、『城柵』と呼ばれる拠点基地を造りました。これは兵の駐屯スペースや服従した現地人の住居を材木塀で囲った広範囲なもので中心には周辺を統治するための政庁が置かれました。前述した城と同じく防御に加えて大軍を配置できるため攻撃、支配するための立地が適している利便性がありました。
上記の 3 つ、”外敵からの防御力” ”侵略する攻撃力” “統治の利便性”を求めて城が作られていきます。ただ飛鳥時代までに作られた城は後の時代に継承されることはなく、戦国の城の原型は鎌倉時代に作られます。
鎌倉時代の城とは?
武士のマイホーム
戦国の城を造ったのは誰か?というと戦国大名―分類としては武士になります。武士が統治者として力を持ち始めたのが鎌倉時代です。戦国の城もまた鎌倉時代の武士が原型となっています。ただ鎌倉時代の武士は“城”には住んでいませんし、正確には常時の建造物として城はまだ存在していません。
まず武士の住居は『館』になります。といっても単に生活のみの建造物ではなく戦いに備えた作りになっています。周囲は堀や土塁・塀で囲われており高所から矢を射るように門や門付近に矢倉が設置されていました。
その中に『主殿(主の住居)』『遠侍(武士の詰め所)』『会所(客室)』他に台所や厩が建てられていました。これらの建造物は四角形に囲われて造られるため『方形館』と呼ばれます。
もうお分かりでしょうか。武士の館が戦国の城の原型(後述する平城)になります。ただ城とは当時は呼ばれることはなく、あくまでも館です。ただ戦いの際に“城郭を構える”という言葉はあったそうで“城”と呼ぶものはありました。
合戦時の臨時バリケード
幕府があった鎌倉は“城塞都市”と呼ばれます。ただ鎌倉で後世のような城はありませんよね。では城塞とは何処のことなのでしょうか?それは周囲の“山”です。山の切り立った崖は天然の防壁になります。
鎌倉時代の武士たちは敵が侵略した際は山に臨時の城塞を築き、障害物である『逆茂木』『垣楯』や土塁・堀で防御を固めました。地形を利用した天然の要塞のため短期間で築城できるのと少人数で大軍を防げる利点があります。
鎌倉幕府軍が東北に攻めいった『奥州攻め』で藤原氏は阿津賀志山麓に城郭を構えました。これは山の麓に 3 重の土塁の内に 2重の堀を造った堅牢なものでした。
(結局、藤原氏は負けちゃいましたが・・・)
山に建てる城—これが所謂、“戦国の山城”の原型となります。
戦国の城の 3 分類(初期・中期)
武士の館が平城、山の要塞が山城の原型とご説明しました。と、そもそも平・山城ってなんだ?と思われている方もいるしょう。“城”といっても種類や時代による違いがあります。戦国の城は大きく分けて『山城』『平城』『平山城』の 3 つです。
山城

その名の通り“山に作られた城”です。山の地形を利用しつつ、土を盛って『曲輪』を、逆に土を削った堀で防御を固めました。曲輪や堀の内側には櫓や門、大きい山城は城主の館などの建造物が建てられました。山城の利点は大きく以下の 3 つあります。
- 地形を利用するため少ない工数で築城可
- 狭い尾根で戦うため少人数で高い防御力
- 山の高所から敵の監視ができる
ただ欠点として大軍は収容できないことや街道から離れた山に作るため政治を行うのには不向きというのが上げられます。
小規模なものでは城主は山城に住んではいなく普段は山の麓の館に住み、戦時に山城に籠って戦いました。この城を『詰城』と呼びます。
戦国後期になると臨戦態勢が重要視され、山城でも多くの曲輪を設けた大規模なものが登場し、城郭内に屋敷を建てて居城としました。
平城

武士の館が城塞化したものが平城と呼ばれ、平地に川や湿地を堀として利用し造られます。山城のような高さを活かした守りではなく、土塁の周囲を水堀で囲って防御しました。平城の利点は
- 街道近くのため在地支配がしやすい
- 平地で面積があるため大軍の収容可能
- 出撃しやすいため反撃が効果的
という点が上げられます。山城は地理的に不便ですが平城は利便性が優れています。
また兵を多く収容でき、城の出入り口である『虎口』を複数作れるため反撃がしやすく攻撃力があります。
欠点は山城と比べて築城するのに工数が多く、守備力も比較的高くはありません。
※城によって差異はあります。
平山城

“山城+平城=平山城”という方程式は少し雑な気がしますが山城と平城の機能を併せ持ったのが平山城に分類されます。というのも山ではなく平地にある丘に築城をします。(丘城とも呼ばれるそうです。)
丘陵の高さを活かした防御ができ、かつ山よりも丘は平らな部分が多いため兵数も入れられます。その分、地形的に守りが薄い箇所は平城のように堀や土塁を築き防御を出来ます。山城のように街道から離れてはいないため利便性もあります。利点をまとめますと
- 丘の高さを活かした防御力
- 丘の平坦部を利用して兵を収容できる
- 平地にあるため利便性も良い
といった守るも治めるも良し、丘の地形を利用できるため工数も平城よりは低い非常にバランスが良い城です。
土塁から石垣へ(近世)
さて、これまでご説明した城は基本的には土のお城になります。(部分的に石垣を使っている例はあるようですが)皆さんがお城といって想像するのは周囲が石垣に囲われ中心に天守閣がそびえる―といったイメージではないでしょうか。
そういった近世城郭のスタートは戦国時代の後期以降の織田信長・豊臣秀吉によって建てられ始めました。これを『織豊系城郭』と呼びます。
近世城郭は今まで土塁であったものが石垣になり櫓などの建築物の屋根も瓦葺きに、城主の館が階層のある天守閣になりました。
近世城郭は守備力もありかつ曲輪の面積も確保できるため多くの兵を収容できる、まさに城の最終進化といえます。これは戦いのためだけでなく権力者の権威を誇示する意味合いもありました。
ただやはり築城の工数は段違いに高くなります。しかしこれを欠点とは言えないかもしれません。先ほど書いたように権力の象徴ですから多くの労力が必要なものを作って周囲に見せつけるのに意味がありました。(例.名古屋城-関ヶ原の戦い後、家康が諸大名を招集して築城しました。)
まとめ
以上を 3 点にまとめますと、
- 武士の館・臨時の要塞が戦国の城の原型
- 山城・平城・平山城の 3 パターン
- 土の城から石垣に進化した
間違ってはいけないのは城といったら近世城郭だけでなく、土づくりの城もあるというのは忘れてはなりません。むしろ戦国時代の小説や大河ドラマで出てくる城の多くは土の城です。ご理解いただけますと幸いです。



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