火縄銃の音が鳴り響く中、無数の槍先を並べた足軽たちが怒声をあげて突撃していく―というのを合戦と聞くと想像するでしょうか?ただ種子島と呼ばれる火縄銃が実践に使用されたのは戦国時代、槍は昔からあると思いがちですが槍と戦闘員として足軽が登場したのは室町時代からです。その前の時代、鎌倉時代はどのような合戦だったのでしょうか?今回は合戦前の準備から集合までを説明していきます。
陣触だョ!全員集合
ふざけた見出しで申し訳ないですが、鎌倉時代の武士たちは本拠地に集住しているわけでなく、基本的には各々の領地に暮らしています。故に戦が始まるとなると招集、書いている通り全員集合させなければなりません。幕府から早馬で届けられた招集令を『陣触』といって、武士は陣触の口頭通達や御教書(将軍の書状)をもらったら間髪入れずに出発するのが心得でした。もちろん1人で戦うわけではないので一族・家人たちが準備して後を追います。
※遠方からの出征、例えば九州から関東へとなると準備して全体で移動となるようなのでケースバイケースのようですが・・・。
合戦の準備
戦う武士だけが集まっても合戦はできません。合戦をするには様々なものを用意しなければなりません。以下、箇条書きにすると
- 兵糧米
- 荷駄馬
- 陣夫(馬の世話や工兵)
- 乗替馬
- 弓矢など戦うための備品
まずは『兵糧米』ですが招集地に着くまでは各自負担、集合後は主君の負担でした。兵糧は行軍するのに必要な量、すなわち戦う武士だけでなく後述する陣夫や馬(馬用の兵糧を馬糧といいます)も用意しなくてはならないため膨大な量でした。もちろん負担元は領地内の百姓になります。
その兵糧を運ぶ役目が『荷駄馬』と『陣夫』で構成された荷駄隊です。陣夫とは領内から徴収された百姓や軍役代理で集められた下層階級の者たちです。馬の世話だけでなく、騎馬が進むにあたって障害物である堀を埋める工兵や船を使う場合は水夫などの戦闘補助員でした。
陣夫のことを足軽とも呼びますがこの時代は非戦闘員です。(なので壇ノ浦の戦いで源義経が水夫を射殺したのはご法度という訳です)戦いはしませんが荷駄隊から兵糧が届かなければ敗戦に繋がり、土建作業は鋤や鍬が不慣れな武士たちにはできない必要かつ重要な作業を担っていました。
当時の合戦は騎馬からの弓矢による攻撃が主力でした。故に無くては戦にならない必要なものは2点、馬と弓矢でした。騎馬武者の装備する大鎧の重量は22~26㎏程あり、当然ながら馬は大鎧を着た武士を乗せて移動しなければなりません。人と合わせると100㎏近い重量を担いでいるため馬といっても合戦前に疲れてしまいます。なので『乗替馬』といって合戦用とは別に予備の馬を2~3頭用意しました。ちなみに用意する乗替馬の分だけ馬の世話をする陣夫が必要になります。
次に弓矢ですが騎馬武者が使用する際に矢は『箙(えびら)』と呼ばれる腰につけるケースに入れていました。

この箙に矢が入る本数が約10~20本位なので矢を使い切ると補充が必要です。予備の矢を入れた箱『矢櫃(やびつ)』を下人に担がせて常備していました。

その他の武具としては弓矢を防御する板の楯『垣楯(かいだて)』や接近戦での『太刀』『腰刀』や徒歩の戦いでは『長刀(なぎなた)』を使用しました。
※鎌倉時代に槍はまだ登場していません。
合戦の出席簿
武士たちはなぜ戦をするのかというと合戦が彼らの仕事の一部だからです。呼ばれたのに参加しなければ業務放棄として持っている土地を失ってしまう可能性があります。故に誰が参加した記録をつける必要がありました。
到着した武士の記録係を『物書(後に祐筆)』と呼び、記録文書『着到状』に大将が証判(サイン)して本人に返却しました。着到状には日時・場所・氏名(武士)と大将のサインが記載され、後ほど恩賞申請の証拠書類となるので到着した武士本人が保管しました。 ちなみに『京都大番役』(御家人が朝廷の警備をする役目)などの勤務が終わった御家人に守護などの上司が証明書類『覆勘状』を発行しました。武士や合戦というと戦いに目が行きがちですが、しっかりと文書記録をして
合戦の開会式
出陣の際も作法に則った『出陣式』と呼ばれる開会式がありました。これは軍勢の士気に関わり、勝敗も左右させるため重要な行事でした。作法を簡単に箇条書きにしますと
- 床机に腰を掛けた主将を中心に左右に重臣が並ぶ(兜は付けずに武装)
- 前の庭に家臣たちが主将の方を向いて並ぶ
- 三献の儀式を主将が行う
- 主将が馬に乗って出発
式の整列については運動会の並びを思い起こしていただけると近いのかもしれません。前には校長と教員方々(主将と重臣)、向かって生徒諸君(家臣たち)でしょうか。主殿の内に集まって、主将が南向きになるように並びます。

『三献の儀式』はゲン担ぎと味方の士気を確認する行為です。『陪膳・長柄・提(くわえ)』の三役によって進行されます。順を追って説明します。
陪膳は“打ちアワビ”“勝栗”“干し昆布”を三皿と盃を高坏に持って運ぶ役です。この3品は“打って勝って喜ぶ”の縁起物で乾燥品のため備蓄できたので用意に便利でした。主将の前に膳をのせた高坏を置いて左回りに座へ戻り、主将は打ちアワビを食べ始めます。
長柄は盃のお酌役、提が酒の補充役です。主将がアワビを食べている間を見計らって主将の前へ出るので主将が盃を取って長柄役が酒を注ぎます。その際の注ぎ方が“ソビ、ソビ、バビ”といってソビはネズミの尾のことで細くタラタラ、バビは馬の尾のことで太く長く加減します。
主将が一杯目をゆっくりと飲んでいる間に提役のところへ酒を補充します。その間に主将は勝栗を食べ、再び長柄役に二杯目の酒を注いでもらい飲みます。また長柄役は酒の補充をして主将は干し昆布を食べ、三杯目の酒を飲み干します。
※乾燥食品は固いため歯が悪いものは食べたふり、酒が弱いものは量を加減しました。
それが終わると主将は兜をつけ左手に弓、右手に扇を持って立ち上がり“エイ、エイ”といいます。全軍立ち上がって“オウ!”答えます。これを三回繰り返します。この“エイ、エイ”は部下に対してのモチベーション確認、“オウ!”はその返事で気合を入れて怒鳴ります。これを『鬨の声』といいますが威勢によって士気の上下が確認できるため思いのほか重要でした。現代の仕事でこれをやるとパワハラに当たりますね、こうゆうのが好きな人もいるでしょうが・・・。
三献の儀式を終え、主将が乗馬して門を出て出陣になります。その出る門も決まっていて主殿右側にあって南庭に通じる門『中門』から出発しました。

乗馬の作法
細かいですが馬の乗り方も作法がありました。武士の乗馬法は現代と違い、馬の右側から乗りました。武士は左腰に太刀をつけているため馬の左側から乗ると太刀の柄が馬に当たってしまうためです。
馬は神経質なため大人数が集まる出陣式は馬を落ち着かせるため腹帯を締め直しなど気遣いが必要でした。ちなみに馬が苛立ち拒否することを『いばえる』といいます。
出陣式の乗馬作法ですが主将は南を向いているため馬は主将から右向きにするため西向きなります。乗馬して出ていく中門は南にあるため、馬が西向きの状態で乗り、左回りして南へ出発します。当然、馬の口取りは馬の左側にいました。馬を出発方向に向けて乗るのではなく、乗ってから方向転換していく作法がありました。面倒くさいようですがいろいろ決まりがあったのですね。
まとめ
合戦前には色々な準備がありました。まとめますと
- 武士たちは各地に点々と住んでいるため招集した
- 兵糧や工兵などの戦う以外の準備が必要
- 誰がいつ着陣したか書面で記録した
- 出陣前には出陣式があった
- 乗馬にも作法がある
兵糧は現代でいうところの予算、工兵は裏方のスタッフといったところでしょうか。金と人の準備がなければ仕事にならないのはいつの時代も同じことですね。今回は合戦前の準備の記事でした。次回は合戦編の記事をアップ予定です。



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